ベトナム人彼女との生活

ベトナム人と付き合うようになって経験したことを発信していきます

出産の話(2)~緊急帝王切開~

こんにちは、takeです。

 

今回の記事は前回の出産の話(1)の続きになります。

 

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18時30分ごろ陣痛誘発剤の投与が終わり、そこから長い長い夜の始まりです。

 

 

真夜中の陣痛と嘔吐

陣痛誘発剤の投与が終わり、副作用である吐き気はいったんなくなるのかなと思いきや吐き気は出産のときまで続きました。

というのも、妻の場合吐き気は副作用が原因ではなく、陣痛による痛みが嘔吐のトリガーのなっていたのです。

誘発剤は18時30分でいったんストップとなったのですが、陣痛は継続して続きました。

つまり薬がなくてもお産が進むようになってきたんですね。

子宮口も開き始め破水もしているので、今晩中のどこかで産まれるかなと期待もしてました。

 

ただこの時の私は昼間に産まれるだろうといった考えでしたので、夜中を病院で過ごす準備ができておらず、ここから付き添うためにはどこかで一時帰宅する必要がありました。

一番問題だったのがコンタクトレンズでして、替えの眼鏡もなければコンタクトを保存する容器もありませんでした。

ということで20時を過ぎたころ、私は一時帰宅をして風呂に入り着替えをし、コンタクトを外し眼鏡に変え、歯ブラシと髭剃りを持って病院へとんぼ返りしました。

夕食は妻の病院食を頂きました。

妻は嘔吐をしているので食事を摂る気力はなく、代わりに私が頂きました。

 

誘発剤中断後は落ち着いたらLDRではなく、通常の病室に戻ってもいいよと言われていましたが、妻の陣痛は落ち着くことはなくそのままLDRで過ごすことにしました。

 

24時ごろになると少しずつ眠気が襲ってきます。

この日は朝7時に起床したのですが、普段が22時30分ごろには布団に入っていたので、ここからが私的に辛い時間帯となりました。

でももっとつらいのは当然のことながら妻。

ここで「ちょっと寝ていい?」なんて口が裂けても言えません。

妻はずっと目を閉めたままで、痛みと吐き気に耐えているのかちょっとは寝ているのか分かりません。

話しかけてほしい雰囲気ではなかったので、私はひたすら背中や腰を押し続けていました。

 

それでも1時を過ぎてくると睡魔がきつく、妻の背中をさすりながら何度もベッドに突っ伏して寝落ちはしましたね。

定期的に助産師さんが妻の様子を確認してきたり、妻がトイレに行きたいとき、嘔吐をするとき、ちょっとお茶を飲むとき、そんなときはパッと起きて、妻を助けてあげました。

なので、寝落ちしても5分くらい寝たか寝てないかくらいでした。

 

そして3時ごろになって、あまりに嘔吐が多いことから吐き気止め薬を点滴に入れることになりました。

そんなものがあるならもっと早くしてあげてよと思いましたが、吐き気止め投与後嘔吐はその後も続きます。

それでも4時を過ぎたあたりから、多少吐き気は落ち着いてきまして、胎動を測定する機械も一旦外すなどをして、少し楽になりました。

 

ここでついに私も眠さが限界で、妻に一言「ちょっと寝ていい?」。

妻は特に気にすることなく、むしろちょっと寝て休憩してみたいな風でした。

それからしばらくは30分ずつアラームをかけては妻の様子を見つつ仮眠を繰り返しました。

 

そんなこんなで明け方を迎え、7時を過ぎたころに朝食が提供されます。

妻は相変わらず嘔吐がひどく、とても食べられる状態ではないので私が頂きました。

病院の食事はしっかりとしていて、ごはん、みそ汁、焼き魚、お浸し、サラダ、フルーツと盛りだくさん。普段食パンを一枚食べるだけの私には重めでして、加えて寝不足なのでよりきつかったですね。

妻は相変わらず嘔吐が続いているので、食事中でも妻の介抱にはいつでも入ります。

 

朝のころには嘔吐物に血が混じるようになっていて、喉にも相当ダメージが蓄積されてて、妻は完全にグロッキー状態です。

 

帝王切開への打診

予定では入院二日目でも陣痛誘発剤(促進剤)を投与することになっていました。

というのは、妻の場合お産はゆっくりではあるけど進んでいることが確認されているからです。

 

しかし、妻の気持ちはこのまま嘔吐が続くのは耐えられなく、もう帝王切開で赤ちゃんを産みたいと思っていました。

陣痛の痛みよりも吐くことが辛くて限界だったのですね。

 

医師にそのことを伝えたところ、産科医としてはこのまま陣痛促進を続けることを勧めたいですが、本人の希望があってのことでしたら帝王切開に切り替えることも一つの手段ですと言われました。

結果として、妻の意思は帝王切開をすることで固まっていましたし、私も妻がそうしたいのであればその意思を尊重していいと思っていました。

私自身も妻が一晩中嘔吐する姿を見たわけで、そんな辛そな妻にもう一日陣痛と嘔吐を我慢してとは言えませんでしたね。

 

その場で医師に帝王切開でお願いしますとの意思を伝えると、その日のお昼から緊急帝王切開分娩をすることが決まりました。

決まってからはLDRから病室へ移動し、手術まで待機となりました。

 

帝王切開分娩

8時頃には病室への移動を終えました。

帝王切開までの待ち時間の間には、緊急帝王切開分娩への承諾書にサインをしたり、術後のスケジュール等の確認をしたりします。

また、胎動を観察する機械で測定をしたりして待ち時間を過ごしていきます。

 

手術前は絶飲絶食ですので、飲み食いはできません。そもそも妻は気持ちが悪いので、食べられない辛さは前日の昼から変わりません。

可哀想なことに嘔吐はこの手術までの待ち時間にもしておりまして、手術の30分くらい前にも一度もどしました。

 

11時頃になると、助産師から妻の手術時間が正式に12時からということが知らされました。

妻は割と緊張するような様子は見せていませんでしたが、私は内心びびってましたね。

やっぱり手術って聞くと怖く感じます。

 

そして11時50分頃妻に声がかけられ、手術室へ移動となりました。

私は病室で待機してくれとのことでしたので、病室から出ていく妻を見送り、「頑張ってね」と一言だけ声をかけ、妻は助産師と共に歩いていきました。

 

帝王切開分娩は約1時間の手術です。

手術中の気持ちはというと、ただただそわそわでした。

部屋の荷物の整理をしたり、これからのスケジュールを確認したり、とりあえず祈りつつそわそわしてました。

およそ30分が経った頃、病室のドアが開きます。

 

助産師「おめでとうございます。元気な男の子が産まれましたよ。ママはもう少し時間がかかります。」

 

ベビーと初対面。

とにかく愛おしく感じました。

ベビーには、産まれてきてくれてありがとう、私がパパですよ、今ママ頑張ってるからね、などなどと話しかけたりしました。

 

そんな時間を過ごしてると間もなく、手術の担当医が病室にやってきます。

 

医師「無事終わりました。出血の量も普通でしたので問題ありませんよ。」

take「ありがとうございます。」

 

そして医師と入れ替わるようにして妻も帰ってきました。

 

顔色はよく、スッキリとした表情をしてました。

私は何度も何度も「ありがとうね」と声をかけた記憶があります。

 

産後は30分ほど付き添うことができましたが、その後はすぐ帰り支度をして私は家に帰ります。

 

さいごに

こうして短いようで長い2日間が終わりました。

いやー、1日が濃かったです。

特に帝王切開が始まり、ベビーが産まれ、妻が戻ってくるまでが濃密でした。

12時に手術が始まり病院を出たのが13時30分頃でしたが、体感としてはもう夕方16時くらいかなって思ったんですよ(笑)。

時計を何度も確認した覚えがあります、っえ!!??みたいな(笑)。

 

現在の妻とベビーは予定通り退院をすることができまして、私の実家で母のサポートを受けながら生活をしています。

ブログでは育児日記のような記事も書いていきたいと思うので、楽しみにしていてください。

 

ではでは🇻🇳

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