ベトナム人彼女との生活

ベトナム人と付き合うようになって経験したことを発信していきます

ベトナム駐在中に発症したストレス性障害

こんにちは、takeです。

 

日本に帰国して時が経つのは早いようで9月でまる1年が経過しました。

私のベトナム駐在生活は1年1か月という短い期間で終了することになり、これは当初の予定とは大きく変わったものとなります。

もともと任期はあってないようなものでして、書面上では任期2年と書かれていましたが、会社としては5年くらい、いやそれ以上にベトナムで働いて欲しいという希望があったくらいです。

しかし、約1年前、私は健康上の理由により急遽駐在生活を終える運びとなり、昨年8月末に本帰国をしました。

 

今回の記事では、もう少し詳しく、当時どのような状態でどういった過程を経て本帰国に至ったのかを話したいと思います。

帰国理由

まず私が帰国をすることになった理由について話します。

冒頭、健康上の理由でと表現しましたが、医師による診断名は「ストレス性障害」というものになります。

ストレス性障害とは、生活をするなかで感じるストレスにより、健康的な生活ができなくなることを指し、私の例でいうと、食欲不振、吐き気、鬱状態、倦怠感、活力がないなどの体調不良が症状として表れました。

そしてこのストレスというのは、仕事原因による精神的ストレスであることが明らかであり、医師からは今の仕事環境を変える必要があると話がされます。

その環境を変える方法として本帰国をするという選択肢が出てきて、その指導通り本帰国をすることを選択しました。

 

精神的なストレスとは

ここからは実際に私が感じてきたことを話していきます。

まず一番のストレス要因であったことは、職務内容の不適正です。

このことに関しては実はベトナム赴任する前から想定はしていたことではありました。

というのも、私がベトナムの駐在員として任されたポジションは副社長という位置づけでいわゆる会社全体を指揮統括する役割でした。

当然職務内容は多岐にわたり、生産技術、品質管理、営業、総務全てにおいて話が回ってきます。

しかし、私が日本で経験したことは上に挙げた中でも生産技術にあたりますが、生産技術の中でもさらに部門が分かれた一部の職務の経験しかありません。(経験も実務4年ぽっち)

そんな経験、知識とも乏しい状態で私はお客様や取引先とのやり取りを任されており、職務を十分に全うすることができなかったのですね。

また日本本社とのコミュニケーションを取る状態も構築されておらず、結果的にただただ私自身が追い込まれる状況となってしまったのです。

今思えば違う立ち回り方もあったなと思いますが、当時の私にはそんな余裕はなく日々のわけのわからない業務に追われた毎日を過ごしていました。

 

ストレス性障害の発症

ストレスがかかるのにはある程度波があったので、実際に体調面で不調な症状が出たのは帰国をする2か月ほど前です。

トリガーとなった出来事もありまして、それは本来休日である土日が二夜連続の徹夜仕事になったことです。

その後も終わらない客先との打ち合わせ、実際には打ち合わせと言っても私に知識がないばかりに罵声を浴びされる毎日で思い出すだけでも地獄のような日々でした。

問題となっている取引先の人間も60歳を過ぎた社長や定年後再雇用にも関わらずゴリゴリ仕事を回すスーパーベテランの人でして、私の2倍生きてる人間から昭和の仕事のやり方でぼこぼこにされてました。

駐在員は私一人だけですので、仕事を分散することもできず本社に応援を求めるも全然手助けにならない状態というわけです。

 

そんなことがあり体調不良の状態と精神的な不調について社長と相談をしたところ、病院を受診することを勧められ、ストレス性障害という診断が出るまでに至りました。

 

ハノイの精神科の病院

私が受診した精神科の病院を紹介します。

私は東京インターナショナルクリニックのメンタルヘルス科を受診しました。

ホアンキエム区にある病院でビルの10Fに入っています。

日系のクリニックですので、日本語対応可で担当医師も日本人です。

確か電話で予約をしてから受診をするという流れだったと思います。

 

メンタルヘルス科を受診するとまず問診票を書き、その後カウンセラーとの面談が行われ、最後に医師の診察という流れでした。

当時はコロナの影響があったからかオンラインでの面談を行いました。

病院内の個室に入ると、PC上で病院を受診するまでに至った経緯や現在の精神状態、健康状態等の話をしました。

面談では、本記事で書いた内容をそのまま伝え(実際はもっと詳細かつ不平不満などもいろいろ話をした覚えがあります)、カウンセラーとの話を終えました。

カウンセラーに話した内容は医師にも伝えられ、今後の治療方針をどうするかなどの判断材料となります。

実は私は病院に行く前から日本に戻ることを一番に考えており、そのことについてもカウンセラーと話をしていました。

そして、医師と話をしたときも「ではtakeさんが最善だと思う日本へ帰国するということを一番に考えていきましょう」という形で話が進んでいきました。

診断時まず医師から伝えられたことは私がストレス性障害であること、そしてその改善には今の環境(仕事内容)を変えていく必要があることです。

さらにその方法論として私が考えている本帰国をするということまでかなりスムーズに話ができました。

最終的には診断書を発行して、診断名と対処方法(日本への帰国が必要)ということを書面にしてもらいました。

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私はこの診断書をもとに会社とさらに相談を進めることで、早々に帰国をする流れとなりました。

 

本帰国しない方法はあったのか

ストレス性障害と診断され、その対処措置として本帰国という流れになりましたが、この結果というのはほぼ患者本人つまり私の意思が全て反映された結果となりました。

病院を受診する前には妻とも話をしてり「もう日本に帰ろう」ということを話していました。

そのため、病院を受診したときは帰国ができる状況を作ることだけを考えていました。

 

ただ方法論としては本帰国だけが対処方法ではありませんでした。

例えば、私がベトナムでまだまだ仕事をしたいという気持ちがあれば、一時的に休職をして体調面を回復させること、またそのあと会社の業務体制を整えて同じような状況に陥らないようにするなどといった方法もないわけではありませんでした。

しかし、当時の私の気持ちや会社への期待度を考慮すると、ベトナムに残ってもろくなことは起きないと思ったわけで、本帰国を選択したまでです。

 

何を伝えたいかというと、本帰国というのは私が選んだ選択であって、ある意味医師からの直接的な指示ではないということです。

仮に私がベトナムでまだ仕事を続けたいという話をした場合、先ほど話した内容の対処方法で診断書が発行されていたと思われます。

 

さいごに

生まれて初めて受診した精神科の病院でしたが、非常に親身になって話を聞いてくれた印象です。

私の思い通りに事が運ぶように手助けをしてくれたことでスムーズに本帰国へつなげることができました。

病院に行く前、妻とも相談をして帰国することは考えており、、、考えていたというかほぼ決心していたため、診断時も私に迷いはありませんでした。

 

1年経ってみた現在、後悔が全然ないと思えることは幸いだなと思っています。

やり残したこともちろんあるのですが、今の生活が充実しているおかげで後悔は感じずに済んでいます。

パッと思いつくやり残したことを一つ挙げるとするならばそれは「貯金」ですね。

駐在期間中は一番の貯金フィーバータイムでしたので(笑)。

でもやっぱり健康には変えられません。

 

ではでは

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