こんにちは、takeです。
妻の昔話シリーズ第3弾です。
他のお話は下記記事をどうぞ。
今回の昔話は妻が小学校に行かなかった話になります。
小学校に行かなかったといっても、それは不登校とはちょっと違って、そもそも入学を拒否したというようなイメージです。
小学校というと日本では4月1日時点で6歳に達した子供たちが入学することになると思います。
小学校に通うというのは義務教育であるため、どんな子供であれ入学する年齢になればみな揃って入学しますね。
ベトナムも基本的には同じなはずですが、妻は少し遠回りをしてきました。
妻が6才になり学校に通う日々が訪れることになりました。
妻の家から学校までは比較的近く、しかも一本道なので、非常にわかりやすい道のりでした。
余談ですが、ベトナムの都市部だと学校へは親がバイクで送り迎えをするのが日常みたいです。というのも、ベトナムの道を子供1人で歩かせるのは危ないことや防犯面(人さらいなど)を考慮すると送り迎えをするというのが普通になるようです。
しかし、妻の実家は非常に田舎で車やバイクで溢れかえることもなければ、学校までの道のりはご近所さんの家に遊びに行くのと変わらないほどで、人さらいの危険を考える必要はありませんでした。
さてそんなところに妻が通っていた学校。
一番最初の通学に関してはお義父さんと妻が2人向かっていたそうです。
お義父さんは妻を学校まで送り届けると、そのまま出掛けてしばらくしてから家に帰っていたそうです。
なのですが、お義父さんが家に帰るとそこにはニコニコと笑顔の妻がいたそうな(笑)。
そうです。
妻は学校に送ってもらったあと間もなく、1人で帰宅を開始し、お義父さんが家に戻る前には帰宅を完了していたのです。
そんなことが続いた結果、お義父さんは妻を学校に通わせることを諦めることになりました。
つまり妻は不登校以前に入学を拒否していたのですね。
幸か不幸か家から学校までの道のりは簡単で6才の妻1人でも帰ることができたのです。
結局妻は一年遅れで小学校へ通うこととなり、小学校、中学校、高校まで修学を終えたのです。
さいごに
妻からこの話を聞いた時は爆笑しましたね。
そんなことあるの?っていう感想です(笑)。
日本だと仮に小学1年生のとき、学校に通わなかったところで学年は上がってしまうような気がするのですが、ベトナム、少なくとも妻の住んでいた地域では1年遅らせることがまかり通っていたようです。
ではでは🇻🇳